名誉教授からのメッセージ

未来を切り開け
上川 孝夫 名誉教授

私は長年、国際金融を研究してきました。米ドル、英ポンド、欧州単一通貨ユーロ、日本円、そして最近は中国人民元などを研究していますが、将来国際的に活躍したいと考えている学生にとっては、不可欠の学問分野だと思います。国際金融は激動の世界経済を映し出す鏡といってよいでしょう。ところで私は学生時代に哲学を専攻しました。ギリシャ哲学やドイツ哲学などに興味をそそられ、友人らとの議論も実に楽しかったと記憶しています。哲学は私の今の専門である国際金融とは水と油のような関係にみえますが、世界を根本において理解しょうとする点で共通する面があり、学生時代の経験が今に生きているといってよいと思います。そうした学生時代の経験から、経済学部で教えていた時にはゼミナールを重視し、学生同士の議論を大切にしました。少人数教育は学問を深めるたけでなく、自らを磨くうえでも効果があります。いつの時代でも未来を切り開くのは、若い学生諸君です。自らの目標に向かって大いに頑張りましょう。

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計画的かつ有意義に使う時間
倉澤 資成 名誉教授

皆さんへお伝えしたいことは一つだけ。幼児期と老後を除くと、まとめて自由な時間をとれるのは大学生の時だけだと思います。この希少な時間を、計画的かつ有意義に使ってください。私自身は大学の四年間のほとんどを麻雀とパチンコとジャズを聞くのに費やしました。ジャズはともかく麻雀とパチンコは無駄でした。それでも理工系の学部に在籍しており、強制的にやらされるものがかなりあったので、後になって助かっています。経済学部はどうしてもやらなければならないことが比較的少ないので、惰性に流されてしまうと後々の後悔がより大きくなるでしょう。横浜国立大学の経済学部は経済学を学ぶにはとてもよいところです。何よりも先生がたがすばらしい。お世辞ではなく、本心からそう思います。私のお薦めの講義は統計学と計量経済学です。これさえ勉強すれば、あとは手をぬいても、というと他の講義を受け持たれている先生には叱られてしまいますね。

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国大生の強み
田代 洋一 名誉教授

2008年に横浜国立大学から大妻女子大学に移り、昨年そこも定年になり、両大学から名誉教授の称号をいただきました。定年後も農村を歩き農家や農協のお話を聞く商売を続けていますが、名誉教授の名刺をお渡しすることで自己紹介の手間が省けるので重宝します。

二つの大学経験を比較しますと、国大の学生は一口で言って手がかかりません。それに対して大妻では卒論を書かせるのにも苦労します。提出日が年内と早いのですが、学生はのんびり、指導教員はハラハラです。ヒアリングにも私がついていったり、父親同伴も何件かありました。国大在職当時は正直言って教師という自覚はありませんでしたが、大妻ではつくづく「教師だなあ」と思いました。

もう一つ、国大の私のゼミでは卒論や就活の取組みはどちらかというと個人主義的でしたが、女子大では相談し合ってワイワイ取り組みます。面接に着ていくもの、髪のかたち、受け応え、内定の断り方、卒論の注の付け方から始まり、深刻なものまでかまびすしい限りです。国大生に対しては「もう少し協同しては」と思いますし、女子大生に対しては「もう少し自立したら」と言いたいところです。いずれにしても経済系では卒論がどんどん減っていくなかで、ゼミと卒論を大切にするは厳しいですが貴重です。

国大は留学生や社会人が多いのも特色です。それを活かした「国内留学」的な交流が大学の奥行きを深くするでしょう。そのほか国大経済には三つの特色を感じます。

第一は、伝統の強みです。大学の教育や運営のあり方をめぐり長い間に培われてきた良き伝統は、教育と大学生活に強い安定性をもたらします。学生諸君がそのことを感じることはないと思いますが、それはいつのまにか皆さんを強いスクールカラーに染め上げてしまいます。それに気づくのは恐らく何十年かたってからでしょう。

第二は、市場・構造・歴史という三つの切り口のバランスがとれています。パリパリの経済理論はもちろん大切ですが、世界が歴史的転換期の最中にある今日、歴史的なパースペクティブをもつことが不可欠です。

また今日求められる公共性や公平性を考えるうえでリーガルマインドが欠かせません。その点で「法と経済」コースをもつ国大は恵まれていますが、法学をめざすのでなければ、民法や憲法などの基本のロジックを身につけられたらと思います。経済学とは意外に相性がいいかもしれません。

第三は、横浜という立地性です。首都圏にありながら東京ではない。ともすれば上から目線になりがちな「首都」に接しながら、それ自体はれっきとした一つの「地域」です。中央vs.地方の対立が深まるなかで、両方のポジションに立てることは大切です。なかなか横浜らしいキャンパス生活を送るというのは難しいかも知れませんが、工夫してみてください。

伝統を踏まえて革新する、複眼に一層の磨きをかける、立地条件を活かす。これが国大の課題でしょうか。大学と学生の生きがよくなればなるほど「名誉」教授の箔もつきますので、宜しくお願いします。

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横浜国立大学経済学部で学ぶ人々に幸いあれ!
中村 剛治郎 名誉教授

横浜国立大学経済学部は、開学以来、伝統的に、国際性と地域性を併せ持つ大学をめざしてきました。いま、現代社会を生きる人間像として、グローカル(グローバルとローカル、両方の視点)な視点を持つ、創造的な人材が求められています。まさに、横浜国立大学経済学部の時代が到来しているといえましょう。

グローバルな視点で考え地球規模で活躍する人材が求められていますが、根無し草では、独自の創造性を育むことができませんので、世界的に活躍できるだけの独自の競争力を形成するのは難しいと言わざるを得ません。たとえば、地球環境問題も地域で起こる公害問題から始まっているように、広く、グローバルな経済的社会的な問題は、実は、足下の地域問題に根ざしているわけです。地域問題の解決なしに、いきなり、グローバルに問題を解決するといっても現実性をもちません。だからこそ、世界でThink Globally, Act Locally! という合い言葉が重視されているのです。

卒業後、多国籍企業の一員として世界に飛び出して活躍する場合でも、グローバル競争の視点だけでなく、進出先、駐在先である現地に根ざすこと、現地の問題を現地の人々と協力して解決する視点を併せ持つことが重要です。このような、多国籍企業の現地化のこともグローカル化といいます。

横浜は、国際的な港町として生まれ、世界都市東京に隣接する日本第2の大都市として成長してきましたので、グローバルな視点を学ぶのに好都合な位置にあります。

同時に、横浜は、多くの地方の現実をも共有でき、地域の可能性を学ぶのにも好都合な都市です。その横浜で、とりわけ、研究水準でも教育レベルでも全国有数の高さを誇る横浜国立大学経済学部で学ぶことは、創造的なグローカル人間をめざす人々にとって、青春時代の素晴らしい機会を得たことになりましょう。

私のゼミは、地域経済政策ゼミでしたが、グローカルに考え行動する基本を身につけることを重視しました。基本ができれば、卒業後、専門分野に関わる領域はもちろんのこと、いろいろな分野で活躍する道を拓くことができます。公認会計士(米国式も含めれば5名)、テレビや新聞の記者、大学教授、シンクタンク研究員、アナウンサー、三井物産や伊藤忠商事など商社、金融機関、味の素などメーカー、公務員、起業した人、等々、広く国内外で活躍している卒業生たちを誇らしく思っています。いまも、隔年でゼミ同窓会を開催し、元気に活躍されている様子を聞けるのは、嬉しいことです。

横浜国立大学経済学部で学ぶ人々に幸いあれ!

汝自身の意思と行動で、そして、仲間と共に、創造的なグローカル人間への道を拓け!

横浜国立大学名誉教授、
龍谷大学政策学部教授、
日本大学大学院総合社会情報研究科非常勤講師、
日本地域経済学会顧問・元会長
中村剛治郎

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学生生活をどう過ごすか ――学問と自分をつなげて
萩原 伸次郎 名誉教授

よく言われることですが、高校までの学習と大学からの学習は、まったく違います。高校までは、大学に入るための予備校的な側面が多いわけです。もちろん、そうした基礎知識は重要であり、おろそかにすることはできませんが、大学の学習は、自ら主体的に行うものなのです。したがって、何か問題意識をもって大学での勉学をやりませんと自然と学問から遠ざかるということが起こります。学資を得るにはアルバイトをしなければなりませんから、それを口実に授業をサボり、試験も友人のノートを借りて、「不可」にならない程度に適当に済ましてしまうというやり方です。

しかし、これでは、何のために大学に入ったのかわかりません。大学の先生もそうした学生では、授業を行う張り合いもなくしてしまうでしょう。何か、自分で興味をそそるものを発見し、追求してみる、そうしたことをやってみると大学での勉学も楽しくなるはずです。また、友人をつくって自分の考えをぶつけてみるのも一つのやり方でしょう。

わたしは、最初はイギリス経済史に興味を持ちましたから、産業革命期のイギリス製鉄業について勉強しました。勉強を始めるとどうしても原書を読みこなせないと本格的な勉強はできません。イギリスですから必死になって英語を勉強するのですが、何か興味をもって取り組むと、いやと思った英語もどんどん頭の中に入ってくるのは不思議なものです。また、製鉄業の勉強を歴史的にやったものですから、古代ローマ時代には、鉄をどう作ったとか、高炉で銑鉄を作り出したのは、いつ頃なのかとか、銑鉄と鋳鉄、鋼の違いは何かなど、技術的な問題にも興味が広がり、原書で読みふけった記憶があります。人から強いられるといやなもので、学習しようとする意欲もわいてこないことがよくありますが、自ら興味をもって調べてみようとするとワクワクしながら研究にいそしむことができますから、何か打ち込める対象を学生時代に作ることは重要なことだと思います。

アメリカの民主社会主義者のサンダースは、若いころシカゴ大学で学びましたが、図書館を積極的に利用したといっています。授業にはあまり出ず、世界有数の蔵書数を誇るシカゴ大学の書庫にこもっては、古今東西の古典を読みふけったと自伝に書いています。昨年わたしが監訳者になって大月書店から『バーニー・サンダース自伝』を出版しましたが、この本も、皆さんが大学に入ってどうすべきか、という点について大いに啓発される点があると思います。彼は、ニューヨーク市のブルックリンという地区で生まれ育った中流の下のほうの家庭に生まれ育ちました。彼の父は、ポーランドからの移民で、彼の母は、アメリカ生まれですが、どちらもユダヤ人です。父は、大学など行かずに就職すればいいといっていたそうですが、母親が積極的に大学進学をすすめ、頼りになる兄がいて、シカゴ大学で政治学を学びます。ちょうど、ヴェトナム戦争反対の運動や公民権運動が盛んな時代でしたから彼はそうした運動にも積極的にかかわり、失敗を繰り返しながら、ヴァーモント州のバーリントンで若いころ市長に当選し、1990年には、ヴァーモント州から下院議員に当選します。彼の偉いのは、権力に媚びず、民主社会主義者を名乗り、長らく米国で下院議員をやり続け、現在は、上院議員になって、頑張っていることです。

わたしの学生時代は、日本の高度成長が続いていた時期でした。東京オリンピック後の不況をケインズ主義的景気政策によって乗り切り、景気のいい時代が、1973年、74年のオイルショックまで続きました。わたしは、1966年から70年までの日本がGNP世界第2位にのし上る時期に大学で学びましたが、1968年と69年は、いわゆる「大学紛争」わたしたちは「大学闘争」といっていましたが、高度成長から生み出される矛盾を感じながら、大学民主化闘争を闘ったものです。

大学生になったなら、常に現実の社会がどのように動いているのか、について観察の眼を鋭くしていただきたいものです。それは、今後皆さんが社会生活を営むにあたって必要不可欠なものだからなのです。


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